地震!そのとき・・・
   震 災 体 験 記  
   ・・あなたの体験記お待ちしています・・



    1995.1.17 AM5:46   阪神淡路大震災(兵庫県南部地震)

  淡路島北部(北緯34度36分 東経135度02分)
  深さ16kmを震源とするM7.3

  死者6433名  行方不明3名  負傷者43.792名

  全半壊家屋274.181棟    焼失家屋約7.500棟       避難者約35万人
  断水130万世帯          停電260万戸             ガス停止86万世帯        
  電話不通30万回線       同時多発火災約290件


  お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします
  また 御遺族の皆様方に心よりお悔やみ申し上げます







               『ごまごま』様の体験です。  
   
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何が起こったのか、さっぱりわからなかった。
かろうじて引っ張り出したコートを羽織り
近所の広い駐車場へ避難。
前日までの暖かさが嘘のような寒さに
身体を震わせつつ、ぼんやりと空を見上げると、
妙に東方向が黒く煙って見える。
それに、なんだか黒い小さなものが
まるで雪のように舞っている。
なんやろう?
私が着ていた白いダッフルコートには
無数の黒い斑点が付いていた。
それが二区東隣にある、長田区の火災によるものだと
知ったのは数時間後。
やっと電気が復旧し、テレビを見ることが
できるようになってからだった。

数日後、長田区に住んでいた伯父の家(全壊)へ。
荷物を取り出しに両親と共に出かけた私は、
変わり果てた町の有様を目の当たりにし、絶句した。
大好きだった長田の町。
幼い頃から慣れ親しんだ町は跡形もなくなっていた。
8年経った今でもあの光景は忘れられないし、
ずっと忘れないつもりでいる。
そしてまた、これは多くの人が感じたと思うが、
皆が助け合い、励まし合いながら生活していたことも
決して忘れてはいけないと思う。

私が住んでいた垂水区は(場所によっては)
震源地が見えるほどの位置にありながら、
活断層から反れていたため、他の地域に比べると
被害は小さかった。
電気は当日中、水道は数日後に復旧。
その間お風呂の残り湯が大活躍した。
ガスの復旧には1ヶ月以上かかり、
その間、友達や親戚に随分と助けられた。
今は「汗拭きシート」というものがあるので、
持ち出し袋の中に入れておくと便利だと思う。

今、実家から離れて生活している私には、
もしあの時と同じ規模の地震が起こった場合、
1人で対応できるだろうか?という不安が常にある。
そのため普段から、地震が発生したら
まず何をして、何を持ち出すのか?避難経路は・・・
などなど、頭の中でシミュレーションしている。
ここの掲示板に参加させていただくうちに、
外出中・乗車中など、その範囲はさらに広まっていった。


毎年神戸で開催される「ルミナリエ」の美しい光、
そして1月17日にテレビで中継される追悼式典を見る度に
あの日のことを思い出す。
そして大きな地震の報道に胸を痛める。
自然災害を人間の力で避けることはできないけれど、
少しでも多くの命を救うために出来ることはあるはず・・・
それにはやはり、ひとりひとりの防災意識が
大切だと改めて思う。

あれから丸9年。
改めて、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

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        掲示板へ投稿していただいた『こうべっち』様の体験です。  
   
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  阪神大震災の時は激震地のど真ん中にいました。その時は下からズドンッと
  突き上げられ体が宙に浮いたように記憶してます。
  1月20日から3年間仕事の都合で東京に行く予定で地震防災の本を読んで
  いましたし、前日取引先にお別れの挨拶に行ったとき、先方の社長が
 『東京で地震に遭って死なんように』って話した時、偶然にも娘さんが神戸も
  関空あたりの断層が危ないって話になり、その時私は京都の方が危ないよう
  な気がしますと言うような地震の話をしていたのです。
  前置きが長くなりましたが、大きな揺れの中でここは東京?って一瞬思いま
  したが、良く見ると自分の家で倒壊一歩手前でした。
  家の家具はすべて固定してましたので倒れませんでしたが、シャンデリアの
  落下と食器の破損、テレビが台から落ちてました。
  近所に火事がおきてないか、外に出ると、前の道が20Cmほど段差が出来、
  水道管が破裂して水が噴出してました。
  本に書かれていた水の確保を思い出し、ペットボトルやバケツでオフロに水
  を確保、鍋や釜にも飲み水用に溜めました。
  ラジオニュースを聞き阪神間で多大な被害が出てるようなので、近くの親戚
  の家にも様子見に行き無事なのを確認し、家に戻る途中で倒壊したビルの中
  から助けを求める声を聞き、近くの男の人を呼んで助けようとしていたので
  すが、火が廻ってきてどうしようもなく、助け出せませんでした。
  3名居たと思います。回りの男の人たちも目に涙を一杯溜めて・・・
  2日後に自衛隊の人かな? ここに3名居たことを伝えておきました。
  あの時の声は2ヵ月くらい頭から離れなかった。
  一ヶ月ほどボランティア活動で自分自身を言い聞かせてました。
  本当に辛い思い出です。多くの人々が常に危機管理をして、被害を少しでも
  少なくして欲しいと願うばかりです。   
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